車いすバスケットボールについて

■沿革

車いすバスケットボールは、1945年頃からアメリカの退役軍人病院において、はじめられたとされています。また、同じ頃に、イギリスの王立ストークマンデビル病院の脊髄損傷センター所長グットマン博士により、リハビリテーションのひとつとして、車いすのネットボール(バスケットボールの元になったスポーツ)がはじめられました。このふたつの流れは、1950年代にひとつとなり、車いすバスケットボールが各国に拡がり、1960年にローマで開催された第1回パラリンピックから公式競技となっています。

現在では、80の国や地域が国際車いすバスケットボール連盟(lWBF)に加盟しています。

日本では、前記のストークマンデビル病院の脊髄損傷センターで学ばれた中村裕博士が、1960年頃、国立別府病院などで車いすバスケットボールを紹介されたのが最初とされています。

その後、1964年の東京での第2回パラリンピックが大きな契機となり、全国に広がりました。

また、毎年、国民体育大会(秋季)の後で開催されている全国障害者スポーツ大会では、1972年の鹿児島大会(当時は全国身体障害者スポーツ大会)から、公式競技となり、現在では、全国で78チーム約700人が日本車いすバスケットボール連盟(JWBF)に登録しています。そのうち女子チームは8チームですが、2000年のシドニーパラリンピックにおいては、銅メダルを獲得しています。

また、最近では障がいのある人もない人も車いすに乗ることによって、一緒に楽しめる車いすバスケットボール競技としても発展し、障がい者理解につながる車いすバスケットボール体験教室も盛んに開かれています。

■ルールなど

車いすバスケットボールは、選手が車いすに乗って、プレイしますが、選手数やコートの大きさ、ゴールやボールなどの用具と競技時間などは、一般のバスケットボールと同じです。

ただし、ゲームで使う車いすは、規格が定められており、車いすバスケットボールの選手には各々障がいレベルの重い者の順から1.0~4.5の持ち点が定められており、試合中コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えてはなりません。このクラス分けの目的は、障がいの重い選手も軽い選手も等しく試合に出場するチャンスを与えるためです。

そのほか、一般のバスケットボールと異なるのは、ダブルドリブルは適用されないので、一度止まった後もドリブルをすることができることです。

ゴールの高さは床からリングまで3.05m 車いすはフットレストの前面上部高さが床面から11cm、シートの高さがサイド・シート・レールの上縁部までで53cm以下、大輪の大きさが空気を入れた状態のタイヤ外側部直径で69cm以下